考えること

日々いろいろ考えることのあれこれ。

気付いた?当たり前だと思ってた学校の悪しき習慣

近年、いじめ問題が急増しニュースでも毎日のように目にする。

自分が小学生の時には気付かなかったけど、
社会人になって仕事をして改めてふと思った。
学校って、社会が悪としている概念をむしろ助長させ、
多感な時期の子どもに植え付けてるんじゃないのか?って。

以下、気付いたことを書き留めていきたい。

 

 

■全ては小学校からはじまる

転校後の小学校。
これは私の人生において、一番不快で無駄な時間であった。
家庭の事情も相重なってネガティブな思い出となっていることは否定しないが、
それにしても小学校が最悪だった。

反面教師から得たものや雑草魂が根付いたことなど負のエネルギーは莫大にたまった。

ただ、負のエネルギーをネガティブにため込むのではなく、
自分の思ったこと感じたことを表現できる人間になりたいと思ったことがきっかけで
音楽や映画にハマり、高3で映像制作のできる学校を進路に選び、
その後社会に出てそういう仕事をし今に至っている。

そんな今の私だからこそ、当時の教師に言ってやりたい。

 

 

帰りの会のチクリ合戦編~

 

帰りの会」なんてものは、きっとどこの小学校にも存在していただろう。

連絡事項以外に、「今日の良かったこと・悪かったこと」の発表の場があった。(挙手制)

そこで「●●くんがいじわるなことを言ってきました」等、
"自分が今日された嫌だったこと"をあくまで"自分目線"で発表するのだ。
これを始めた教師はきっと本来は、クラスの全体の本日の反省点をみんなで考察し、
同じことを繰り返さないように明日につなげよう、なんて思ってたのかもしれない。

ただ、繰り広げられるのは"個人指名の悪口合戦"。
こんなんが当たり前に行われているのだから、
1人でなんもできないようなやつが育ってしまうのだ。
たとえば当事者同士でケンカになり、そりゃ小学生のガキんちょどもじゃ収集がつかなくなるだろう。
そこで先生に言う行為はもっともだとは思う。
ただそこで先生は、みんなの前でつるし上げて悪い子をしかることのみを
対処法とするわけ?そりゃ授業中に発覚した宿題忘れならみんなの前で注意されても当たり前だ。
ただ子どもたち同士の個人間の問題よ?
それをちくいち「帰りの会」でちくる環境を良しとするならば、
1人だとちょっと怖いけどみんなの前でやれば怖くないという悪しき集団心理、
あわよくば気に入らない子がいるともあれば、標的になる。
そんなことも予見できないのかね?
いちいち帰りの会でそんな個人的なことを公衆の面前でさらす子に
対して危機感を感じない。それを良しとし、しかもその子の肩をもつことが
当たり前となっているのが逆にすごい。
いじめる子どもって、いじめ行為に背徳感なく当たり前のようにやってしまうけど、
この悪しき集団心理が毎日の当たり前となっていたから、
みんなの前で1人を標的にすることに対して何とも思わないんだろな。
それを助長してるんだよ学校は先生は。

おまけにもうひとつ。
「どうするべきか」を発信できずにただされた事象や文句だけ垂れ流すやつは、
社会人になってから仕事できない奴とされるんだけどねw

 


~努力しなさいという先生編~

 

「もっとみんなの輪の中に溶け込める努力をしなさいよ」

↑のチクリ合戦やっといてよく言うよこのクソ教師が。
あのね、お前監督者。
お前がそれを助長するの。

たとえば、一緒のグループに入ろうって誘いをかたくなに拒み続け
1人を徹底的に守り抜いてる子に言うなら、またニュアンスは違うけど、
「はーい2人グループ作って」とか「3人グループ作って」とか
行事ごとの任意の班決めなどで残りがちになってしまう子に対してそれ言うか。

そもそもにして、社会性を身に着け始めていく小学校で、
授業という義務的なところにおいていちいち好きな人とグループ組むなんざ
笑い話でしかない。
まぁそこは百歩譲ったにしても、
クラスに溶け込めない子がいるのはいつの時代にもある永遠のテーマ。
それをその子の努力不足という結論で教師が自己解決し、
その子にだけ改善を要求して、自分は何もしないの?
給料返せ。泥棒。
監督者であること、クラス唯一の大人であること。その責務を果たせ。
具体的な方法は教師がちゃんと悩め。めちゃくちゃ悩めよ。
教師同士できちんと話し合え。それがお前らの仕事だろ。
何のための職員会議?
どうしたらこうなったのか。今後どうしていけばいいのか。
ひとつひとつ真剣に考えろ。

 

 

 

■おわりに

小学生って一番恐ろしい年齢だと思う。
いじめの根っこが生えるのも小学生。
あどけない幼さの1年生が変わっていくさま。
小学校での指導を意味のある指導にしてほしい。